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住所:山口県下関市長府宮の内町1-18
TEL:.083-245-1093
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皆様おはようございます。
梅雨空が続いております。ここ長府も連日、雨が降ったり曇りになったりと天気の周期がとても早い状況です。
写真は今朝、午前5:30ごろの境内の様子です。わかりにくいかも知れませんが、霧が一面に立ちこめて非常に幻想的な雰囲気を醸し出しておりました。
本日は6月30日。一年の折り返し地点です。当社では7月14日~16日にかけて斎行致しますが、多くの神社では本日が「夏越の大祓」として神事が執りおこなわれます。
この大祓にて奏上される祝詞である、「大祓詞」に次の一節がございます。
「朝(あした)の御霧(みぎり)、夕(ゆふべ)の御霧(みぎり)を朝風(あさかぜ)夕風(ゆふかぜ)の吹き祓ふ事の如く」
この詞の如く、昼間には霧が晴れて、皆様の身や心も晴々となれば幸いに思う、今日の朝でした。
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おようございます。本日は境内にて骨董市が開催されております。
どうぞ、お出かけ下さいませ。
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さて、六月に入り早くも一週間と少しが経過しました。先日の六月六日の天気は雨でしたね。子どもの頃に「六月六日に雨ザーザー降ってきて」と歌いながら、コックさんの絵を描いたのは懐かしい思い出です。
さて、皆様のお手元にも神社より「大祓」の人型は到着致しておりますでしょうか?もしお手元に無く、必要であれば神社授与所にてお渡し致しておりますので、お気軽にお声がけ下さいませ。
写真1:忌宮神社の大祓の人形
では、本日は「大祓」の「歴史」について、神社では無く宮中を中心にお話ししたいと考えております。大祓と聞かれますと、皆様は当神社の摂社、八坂社における「茅の輪」であったり、七月の八坂祭の際に私ども神職が毎日百巻奏上しております「大祓詞」をイメージされるかも知れません。
『古事記』を紐解いてみますと当社の御祭神であられます、仲哀天皇も「大祓」をお話しする上では外せない天子様であったことが分かります。
『古事記』仲哀天皇段における仲哀天皇崩御の直後の内容として、
殯宮に坐せて、更に国の大奴佐を取りて、<…分註中略…>生剥、逆剥、阿離、溝埋、屎戸、…以下省略…
(『日本古典文学大系1 古事記 祝詞』,岩波書店,昭和33年,p.229)
とあり、「大祓」の初見です。ここで出てくる「大奴佐(おほぬさ)」は、その形状などは不明ですが、同じ呼び方をするものとして「大麻(おほぬさ)」があります。これは今日私どもが神事の際に、最初のお祓いである「修祓(しゅばつ)」において用いる祓の道具です。
写真2:大麻(おおぬさ)
こうして行われ始めた大祓ですが、次第に国全体を祓い清める意味を持つ様になり、宮中を中心として執り行われる様になります。
『日本書紀』天武天皇五年八月条には、国を挙げての大祓の様子が書かれています。
辛亥(かのとゐのひ=天武天皇五年八月十六日)に、詔して曰はく、「四方に大解除(おほはらへ)せむ。…省略…」
(『日本古典文学大系68 日本書紀下』,岩波書店,昭和40年,p.424 ※補注は筆者による。)
この引用では、省略部分に「大祓」に際していろいろと用意した、贖物(あがもの)の種類が記されています。言わば、科料とも言う事が出来、日本における大祓はかつては刑事罰における贖罪の観念もあった事が窺えます。
時代は下って奈良時代に入りますと、明確に宮中においての「大祓」が定まります。大宝元年(701)の今で言う日本の憲法である『大宝律令』では、「大祓」は国の行事となりました。その翌年の大宝二年(702)には十二月末に「大祓」が登場しています。それによれば、
壬戌(みずのえのいぬ=大宝二年十二月三十日)。大祓を廃せしむ。但、東西文部解除、常の如。
(『新訂増補 国史大系 続日本紀 前編』,吉川弘文館,昭和44年,p.16 ※書き下し文、補注、読点はブログ筆者による。必要に応じて漢字を現代の漢字に書き換えた。)
とあります。文章の意味からでは、ここで一旦ですが大祓は廃止または中止になったみたいですね。ちなみに、後半の「東西文部解除(やまとかふちのふひとべのはらひ)」は後ほどお話し致しますが、天皇陛下の祓です。
写真3:『国史大系 続日本紀』(ブログ筆者蔵書)
さて、大祓は六月ないし、十二月の晦日に行われる事が定められました。実際には、臨時の大祓も執り行われており、例えば天皇の即位である大嘗祭、伊勢神宮や賀茂社(現在の下鴨神社・上賀茂神社)にお仕えしていた斎王・斎院の選定などです。
では、六月や十二月に大祓が定まった当時は、どの様な感じだったのでしょうか。少し、史料を見てみましょう。
かつての日本の法律であった『律令』の解説書である、『令義解』神祇令条には次の様に記されています。
凢六月十二月の晦(みそか)の大祓には<…分註中略…>、中臣、御祓麻(はらへのぬさ)を上(たてまつ)れ。東西文部(やまとかふちのふんひとへ)、<…分註中略…>祓への刀(たち)を上(たてまつ)り、<…分註中略…>訖(をは)りなば、百官(もものつかさ)の男女、祓への所に聚(あつま)り、中臣、祓の詞を宣たまへ。卜部、解除(はらへ)をせよ。
(『新訂増補 国史大系 令義解』,吉川弘文館,昭和51年,p.80 ※書き下し文、補注、読点はブログ筆者による。必要に応じて漢字を現代の漢字に書き換えた。)
非常に具体的ですね。上記の文章のうち、「中臣、御祓麻(はらへのぬさ)を上(たてまつ)れ。東西文部(やまとかふちのふんひとへ)、<…分註中略…>祓への刀(たち)を上り、<…分註中略…>」までが天皇の祓いを示しています。
天皇に対する祓は、東西の文部(ふびとべ)が祓刀や人形を奉りますと、天皇は人形に息を吹きかけたそうです。現在の、一般的な大祓の人形のルーツとも言えましょう。
一方で一般の官人への祓は、「訖(をは)りなば、百官(もものつかさ)の男女、祓への所に聚(あつま)り、中臣、祓の詞を宣たまへ。卜部、解除(はらへ)をせよ。」が示しております。当時の大祓は、二段構成だったことが分かるかと思います。
二段構成であると言う事は、大祓で奏上された祝詞も二種類であり、前者の天皇の祓いでは「東文忌寸部献横刀時呪(やまと「かふち」のふみのいみきべたちをたてまつるときのしゅ)」であり、漢音にて奏上された特殊な祝詞だったと言われております。
そして、後者で奏上されたのが、現在私ども神職が日々奏上している「大祓詞」の原型でした。
「中臣」や、「卜部(うらべ)」の名前が出てきますが、両方共に神代より天皇にお仕えしてきた神祇祭祀の家柄です。特に、「中臣」は平安時代は神祇祭祀の家柄だけでなく、中央政治にも力を出していた家ともルーツが一緒です。藤原氏の流れです。
これらの祝詞は、平安中期の法律である『延喜式』の「巻八・祝詞式」に納められており、現在各地で行われている「大祓」は、その昔は国家プロジェクトであった事が窺えます。
では、平安時代の史料である、『西宮記』に記されている平安時代の大祓の様子を見てみましょう。
延喜元年(901)閏六月晦日、大祓有り。
上卿、朱雀門に着く。<・・・分註省略・・・>内侍着く。<・・・分註省略・・・>神祇官は祓物を置く。祝師着く。<・・・分註省略・・・>祝ひ了(おはり)て、神祇官は祓物を徹す。祝師退く。神官は大麻(おほぬさ)を曳きて各(おのおの)退く。内蔵(くら)祓。<・・・分註省略・・・>當祓。<・・・分註省略・・・>
(『西宮記』,近藤出版部,明治36年,pp.166-167 ※書き下し文、補注、読点はブログ筆者による。必要に応じて漢字を現代の漢字に書き換えた。)
この史料は、『延喜式』が出来た頃の時代、平安中期の内容です。親王以下の宮中の人々が朱雀門の前に参集して、大祓を斎行している様子が分かります。「祝師(のりとし)」が行事の進行を司っている事も分かります。恐らく、前出の中臣氏でしょう。そして、最後に「大麻(おほぬさ)」を以て祓を行っている事も分かりますが、今日のようにハタキみたいに振るのではなく、当時は大麻(おほぬさ)そのものに触っていた事が分かります。全体的に見て、今日の神社における大祓と類似性があると言えましょう。
ここまで、いろいろと見て参りましたが日本人は「祓」が出来る民族です。それは、日本の国史がはっきりと物語っております。是非とも皆様も、大祓の人形に日々の罪穢を移して祓を行い、残り半年をお元気に過ごされてはいかがでしょうか。
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