数方庭祭

8月7日から13日

豊浦宮に新羅の塵輪が熊蘇を煽動して攻め寄せ皇軍も奮戦しましたが、宮門は破られ武将が相次いで討ち死にしていくさまをご覧になった仲哀天皇は大いに憤らせ給い、御自ら弓矢を執って見事に塵輪を射倒されました。
これを見た賊どもは色を失って退散しました。皇軍は歓喜のあまり矛をかざし旗を振って塵輪の屍のまわりを踊りまわったのが数方庭の起こりと伝えられています。
輪を首を切ってその場に埋め、上に石をおいたが塵輪の顔が鬼に似ていたところから、これを「鬼石」と呼びました。
それ以後、出陣、凱旋の時にはこの鬼石の周囲を踊りまわったといわれています。

数方庭の期間の毎夜男子は幟、女子は切籠と呼ぶ灯籠を吊した笹竹を持って、鉦・太鼓に和して鬼石のまわりを踊り舞います。天下の奇祭と呼ばれ勇壮かつ典雅な神事です。

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